ホントにホント

映画や本、アニメ、音楽など筆者の趣味にまつわるレビューを綴るブログです。

いくつになっても

私には昔から、物事に行き詰まったり、ぶつけどころの無いイラ立ちを感じた時に、断捨離をするという習性がある。

 

どうやって断捨離へ行き着いたのかは分からないのだが、不要なモノを捨てることでどん詰まっている自分とオサラバできる気がするし、何よりスッキリして気持ちが良い。髪を切った後の気分に似ている。

 

しかし、断捨離後の気分爽快に至るには、苦悩がつきものだ。今まで自分の生活を形成していたモノ達に「お前にはまだ使い道がある。ついてこい。お前はいらない。じゃあな。」とジャッジを下していくのは、少なからず痛みを伴う。別れは時に辛いものだ。

 

そうした痛みと引き換えに私は溜まったストレスを収め、生活をアップデートする。いわば世代交代・血の入れ替えである。98年W杯で三浦カズが落選し、02年W杯で中村俊輔が落選したように、不要なピースはふるいにかけられるし、また、新たな選手のために席を空ける者も当然にいるということだ。

 

 

かくして私は、20年5月度のメンバーを選抜するべく断捨離をはじめた。

 

断捨離中、久しく見ていなかった学生時代の服が出てきた。およそ10年前のモノである。10年振りに会う彼らは、なんというか「ギラギラ」していた。懐かしいというよりまず、恥ずかしいという感情で一杯になった。当時自分の中で「アリ」だったものが10年の時を経て私に「ナシ」を突きつけてきた。というより私は「ナシ」に殴られた。とても痛かった。血が出た。

 

10年振りの彼らは、とにかく派手であった。その派手は「他の凡庸の塊のような学生達とは一線を画したる!」的な根性を秘めていた。何とタチの悪いことか。(凡庸な学生諸君、すまない)

 

私が恥ずかしかったのは、当時のセンスも勿論であるが、その舐め腐った根性が見えたからだ。何者でもないくせに何者であるかの様なツラをして、おまけに他人を蔑みやがるときた。何とタチの悪いことか。(2回目)

 

若い頃は何故だろう?自分を大きく見せたくて必死だったように思う。何も持っていない空虚な自分が嫌で、私はその心の空洞に、ファッションを詰め込むことを選んだ。派手なファッションは周囲への威嚇であり、自分を守る鎧でもあった。

 

きっと、誰しも鎧を着ていたはずだ。ある人は勉強をして知識を得る、ある人は肉体改造して負けない身体を作る、ある人は孤独を嫌い、幅広い交友関係を作るetc といった具合に自分を守る、弱い自分を強く見せるためのアイテムを持っていたに違いない。

 

 

 

"10年前の自分よ。君はそうやって着飾ることで自分を守っているのだろう?安心していいんだ、君は君でいい。君には派手な柄なんて必要ないんだ。さぁ、こっちへきなさい。抱きしめてやろうじゃないか"

 

 

 

 

と、心の中で1㎜も唱えることなく、私は45ℓポリ袋にそいつらを次々とぶち込んだ。  

おそらく真顔だったと思う。